浅草観音裏・猿若三座の遺産体験ツアー

地域資源発掘型実証プログラム(東京都事業)


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伝統美ナイトツアー

谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃」のお座敷。
浅草の料亭で菊灯に灯した百目蝋燭の明かりだけのなかで、食事と芸妓の踊りやお酌を楽しんでいただきます。

【ツアー内容】

主催者 NPO 法人江戸・商店観光振興会
協力 浅草観音裏連携協議会(浅草観光連盟/東京浅草組合/浅草料飲組合)
募集人員 10人/回
場所 割烹料亭「福八」
料理 会席料理(お酒付き)
芸妓 4人
価格 2万円(税込)
集合場所 浅草寺子屋i
集合時間 17:45(宴会開始:18:00)
浅草寺子屋i で観音裏や浅草花街についてご説明した後、福八までご案内致します。
終了時間 20:00
実施日 モニターツアー1回目 日時:12月 8日(火)
モニターツアー2回目 日時:12月 9日(水)
モニターツアー3回目 日時:12月11日(金)
備考 ※モニターツアーのため、ツアー終了後、アンケートにお答えいただきます。

※本ツアーは終了日まで予約が一杯になりましたので、受付を終了致します。
多数のご予約ありがとうございました。

※なお、浅草寺子屋iではツアー終了後も、安価な着物レンタルを行っておりますので、是非ご利用ください。 →浅草寺子屋iへ

 

観音裏/猿若三座

観音裏/猿若三座

浅草寺の北に広がる浅草花街は、伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつです。古来より浅草観音様は諸人の参詣を集め、掛け茶屋が出て賑っていました。武江年表(斉藤 月岑編 平凡社東洋文庫)によると明暦年間(1655 ~ 1657)「金竜山の門前に初めて茶飯 豆腐汁煮染 大豆等をととのえて奈良茶となづけて出だせし」とあり、これが江戸の料飲店の始まりと
いいます。

宝暦7年(1757)には「江戸真先稲荷流行出でて田楽茶屋数軒出来て繁盛す」と記され、その後、浅草寺門前広小路に移り、菜飯田楽を看板に料理店化してゆきます。この田楽茶屋の酒客のお相手に生まれたのが、田楽芸者の愛称でも知られた広小路芸者です。
北には、遊女三千人で不夜城を誇った幕府公許の新吉原の遊郭があり、大門外の田町山谷堀あたりの編笠茶屋や船宿を出先に、ここに山谷堀の芸者、俗にいう堀の芸者が生れ盛況を迎えます。
また天保の改革で、江戸市中に散在していた3座の歌舞伎、2座の人形芝居の小屋を猿若町に移し、芝居町が形成され、芝居茶屋には猿若町芸者が誕生します。芝居櫓の下にいるので櫓下芸者と呼ばれたといいます。

これら三派の芸妓衆が、この三名所を背景に、江戸府内随一の大歓楽境を作ってゆきます。明治維新後、一時衰微しますが、明治18年(1885)浅草寺寺内の改造を機に広小路、猿若町、堀の芸妓衆の一部が浅草公園周辺に集まって、公園内の料理屋を出先に、現在の浅草芸妓のもととなる公園芸妓が生まれ、再びかつての繁盛を取り戻します。明治29年(1896)には料理店ごとあった見番をまとめた公園見番が作られ、芸妓の管理、花街の運営にあたります。
公園を根城にしていた花街も、芸妓の変遷、都市の発展に伴い現在の場所に移ります。大正末期には料理店49軒、待合茶屋250軒、芸妓1,060名を擁した大所帯も、関東大震災、続く戦禍のために、多数の痛ましい犠牲者を出して、浅草花街は壊滅状態となります。

 

陰翳礼讃

陰翳礼讃

「陰翳礼讃」は、昭和8 年に発表された谷崎潤一郎の随筆で、まだ電灯がなかった時代の今日と違った美の感覚を論じています。こうした時代西洋では可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着したが、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美の特徴だと述べています。谷崎はこのなかで金屏風や漆器、うるしのお椀について暗がりや蝋燭のあかりの下でみる美しさを以下のように述べています。

「大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。」「昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵(まきえ)などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭(ろうそく)のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。」

そして最後に谷崎は言っています。

「まあどういう具合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」